平仮名の誕生
概要
ひらがなは日本独自の文字ですが、実は漢字から作られた文字であることはご存知ですか。日本独自の漢字の使用方法である万葉仮名には漢字を意味で使っているのか、それとも音で使っているのかパッと見ただけではわからないという弱点があります。その弱点を克服したものが平仮名です。この記事では、どのような変遷でひらがなが生まれたのかを紹介します。
草仮名の成立
漢字が伝来してから、日本では音訓両方の使い方や万葉仮名で日本語を書き表していました。しかし、万葉仮名といえども漢字表記なので一音一音に画数の多い漢字を楷書や行書で書くのはかなり時間がかかってしまいます。そこで9世紀頃から早く書くことを目的に、万葉仮名を崩すようになりました。この文字は、万葉仮名を草書化するという意味で草仮名と呼ばれます。
草仮名で書かれた現存する最古の資料は9世紀中頃の「讃岐国解藤原有年申文」という公文書です。この資料には草仮名と平仮名の併用が見られます。他に草仮名で書かれている文献として代表的なものは「秋萩帖」です。作者は平安時代の貴族の小野道風と藤原行成で、成立は10~11世紀だと考えられています。
平仮名の成立
草仮名が生まれた後も漢字の簡略化は進んでいきました。漢字をくずしていった結果、生まれたのが日本独自の文字である平仮名(ひらがな)です。
実は平仮名の成立した時期は正確には明らかになっていません。平仮名が公的な文書に初めて現れたのは「古今和歌集」という歌集です。この歌集は平安時代前期、醍醐天皇の時代(905年)に編纂されました。ですのでこの時期にはすでに平仮名は使われていたと考えられます。
平仮名が誕生したからと言って、平仮名が万葉仮名(漢字)に取って代わるということはありませんでした。むしろ文字は漢字で書くものという風潮が残っていました。したがって、漢字や漢文が公文書のような畏まった場面でのみ使われていました。
かな文字(変体仮名)
そこで、平仮名の使用に目を付けたのが当時の宮中の女性でした。平安時代中期頃の女性は漢字を学ぶことを禁じられおり、漢字は男性だけが使っていました。宮中の女性たちは平仮名を実用文字として日記や和歌に使い始めました。ここから、平仮名は別名女手とも呼ばれるようになりました。その対として、漢字は男手と呼ばれていました。
もともと話し言葉に近い平仮名は心情や身の回りの描写をするのに向いていた文字でした。そのため次第に男性も私的な場面で平仮名を用いるようになりました。土佐日記の作者である紀貫之が男性であるにもかかわらず、平仮名を用いたというのはこうした平仮名の性質を捉えていたためではないかと考えられています。
現代も使われているひらがなについて
現在もひらがなはありますが、平仮名が誕生した頃に使われていたものとは少し異なります。当時は一つの音に複数の形の平仮名を使っていました。例えば「た」という音を表すには「太」「多」「堂」という三つの漢字を崩した平仮名が使われます。
実は、現代のように一音に一字しか使われなくなったのは、実は明治時代に入ってからなのです。明治33年の「小学校令施行規則」という法令によって平仮名は一音に対して一つの形に統一されました。これによって定められた形が今日使われているひらがな50音です。それ以外の採用されなかった平仮名は変体仮名と呼ばれるようになりました。