ひらがなの由来・成り立ちについて

目次

ひらがなの成り立ち

 ひらがなは中国から伝わってきた漢字が元となっており、日本では奈良時代を中心に使用していた「借字(※1)」に由来したものになります。

1.借字
中国から伝わってきた漢字の「音」の部分を日本語にあてて書いたもので、「万葉仮名」と表現されることが一般的です。また、男性が使うものであったため「男仮名」と表現されることもあります。

 ヤンキー用語の当て字として知られる「夜露死苦(よろしく)」や国名を漢字で表現している「亜米利加(アメリカ)」なども、日本語の「音」に合わせて漢字が当てられているため、「借字」に該当します。

 借字は、一つの音に対して複数の漢字があてられていたため、「あ」という音を書き記すには「安・阿・悪」など、「い」という音を書き記すには「以・意・伊」などの漢字が使われていました。

 これらの借字が変化(簡略化)して平安時代に「ひらがな」が誕生。誕生当初は借字と同様に一つの音に対して複数のひらがながあてられていたため、「あ」という音を書き記すには「安・阿・悪」を崩したひらがな、「い」という音を書き記すには「以・意・伊」を崩したひらがなが用いられていました。

 しかし、1900年(明治33年)にひらがなの字体を統一する「小学校令施行規則」という法令が発令され一音一字という形式になりました。

 この法令によって標準の字体として選ばれたひらがなのみが学校教育で教えられるようになり、ここで採用されなかった文字は、「変体仮名」と呼ばれるようになりました。

マメ知識

 ひらがなが誕生した当初(平安時代)は、女性が使う文字とされていたため「女手」と呼ばれていました。このひらがなの誕生によって女性が手紙や日記、和歌を書き記す機会が増え、清少納言の「枕草子」、紫式部の「源氏物語」をはじめとする女流文学が盛んになりました。

ひらがなの成り立ち

「あ・い・う・え・お」ができるまで(字源)

「あ・い・う・え・お」ができるまで(字源)の解説画像
「あ・い・う・え・お」ができるまで(字源)の解説画像

 「あ」は「安」、「い」は「以」、「う」は「宇」、「え」は「衣」、「お」は「於」という漢字がそれぞれ崩れ(簡略化され)、出来上がりました。

「か・き・く・け・こ」ができるまで(字源)

「か・き・く・け・こ」ができるまで(字源)の解説画像
「か・き・く・け・こ」ができるまで(字源)の解説画像

 「か」は「加」、「き」は「幾」、「く」は「久」、「け」は「計」、「こ」は「己」という漢字がそれぞれ崩れ(簡略化され)、出来上がりました。

「さ・し・す・せ・そ」ができるまで(字源)

「さ・し・す・せ・そ」ができるまで(字源)の解説画像
「さ・し・す・せ・そ」ができるまで(字源)の解説画像

 「さ」は「左」、「し」は「之」、「す」は「寸」、「せ」は「世」、「そ」は「曽」という漢字がそれぞれ崩れ(簡略化され)、出来上がりました。

「た・ち・つ・て・と」ができるまで(字源)

 「た」は「太」、「ち」は「知」、「つ」は「川」、「て」は「天」、「と」は「止」という漢字がそれぞれ崩れ(簡略化され)、出来上がりました。

「な・に・ぬ・ね・の」ができるまで(字源)

 「な」は「奈」、「に」は「仁」、「ぬ」は「奴」、「ね」は「祢」、「の」は「乃」という漢字がそれぞれ崩れ(簡略化され)、出来上がりました。

「は・ひ・ふ・へ・ほ」ができるまで(字源)

 「は」は「波」、「ひ」は「比」、「ふ」は「不」、「へ」は「部」、「ほ」は「保」という漢字がそれぞれ崩れ(簡略化され)、出来上がりました。

「ま・み・む・め・も」ができるまで(字源)

 「ま」は「末」、「み」は「美」、「む」は「武」、「め」は「女」、「も」は「毛」という漢字がそれぞれ崩れ(簡略化され)、出来上がりました。

「や・ゆ・よ」ができるまで(字源)

 「や」は「也」、「ゆ」は「由」、「よ」は「与」という漢字がそれぞれ崩れ(簡略化され)、出来上がりました。

「ら・り・る・れ・ろ」ができるまで(字源)

 「ら」は「良」、「り」は「利」、「る」は「留」、「れ」は「礼」、「ろ」は「呂」という漢字がそれぞれ崩れ(簡略化され)、出来上がりました。

「わ・を・ん」ができるまで(字源)

 「わ」は「和」、「を」は「遠」、「ん」は「无」という漢字がそれぞれ崩れ(簡略化され)、出来上がりました。